9日の国会に於ける福田首相と小沢民主党代表の喧嘩はなかなか見応えがありました。討論後、記者団に対して「アタマに来てたからね」と述べていたことからも分かるように、相当鬱憤がたまっていたと思われます。はらわたが煮えくり返っているのにお互いににこやかな表情を維持しつつこういった議論をするのは見ていて非常に滑稽です。私たち国民からしてみれば議会は会議をする場であってこんなくだらない“討論”という名を借りたケンカは国会でやらずに普段に済ませておけよ!と日ごろから感じているわけで国民をバカにしている。国民はもっとアタマに来ているのだ!
その中で出てきた、暫定税率失効に伴う税収不足による道路補修などの事業停止問題。この問題についてのやり取りで改めて気になったことがある。
福田首相は「財政難なのに赤字国債を発行することは出来ない」と言い、小沢は小沢で「ムダをなくせ」の一点張り。ムダを無くす事はもちろんわれわれ国民にとり歓迎すべきことの筈である。しかしながら個人、団体を問わず議員を支援するさまざまな勢力は、その支援の見返りとして必ず自らへの恩恵を期待しているはずで、ムダを見直すと言うことはそれに伴って悪影響を被る勢力、またはそれらが支援する議員にとっては死活問題である。だから常に抵抗勢力なるものが存在するわけで、まことに腹立たしい。
人間、特に大人がやる政治というものは全世界、どの国を見渡しても似たような状況である。誰もが崇高な目標を掲げはするが、いざ議論を突き詰めていくと、総論賛成、各論反対。利害関係の衝突があると、話し合いによる解決はまずほとんどの場合有り得ない。数に物を言わせて押し通す。少数派はといえば、審議拒否や牛歩戦術など大人げ無い行動で抵抗する。議論しない議会など存在価値が無いと思いますが。ひどい時には実力行使、つまりクーデターや戦争である。
極論すれば、全能の神様がいてその指示を有難く受け入れると言うようなしくみが必要であると思いますが、困ったことにこの地球には微妙に考え方の違う神様がいくつも存在する上、さらに悪いことに「我こそが神である」、と言う尊大な人間が多数存在し、それを信じてしまう人々がいるということ。まったく悲惨な世の中です。
予算が不足したら赤字国債発行、という考え方もまったく馬鹿げた話で本来ならば予算というものは税収の範囲内で組むのが筋ではないのか?未消化の予算が出ると翌年度に配分が減らされるから無理矢理年度末に工事があちこちで始まることからも分かるように、そんなに必要ないのであろう。従ってそれは繰り越すべきなのであって、予算自体が真剣に見直されるべきである。民間企業、また小市民としての目線ではこの発想はごく普通のことである。ところが官吏にしてみれば、一度せしめた権利は減ずることなく新たな分け前を狙うことしか考えていない。「道路行政に係る収支がほぼ同額なので一般財源には回せない」とした所期の報告が良い例で、予想される収入にムリヤリ合わせて経費を算出しているに過ぎない。結局、官吏にとって税収とは泉のように湧き出てくるものという認識なことは明白である。
なんといっても、自分のカネではないのだから、痛くも痒くも無い。
共産主義も腐っているが、民主主義だって、国民が無関心でいたらどんどん腐っていくのである。政治家の先生方は、まったく信用できない。
昔からうっすらと感じていましたが、最近新聞をロクに読まなくなっているから頭がバカになりかけていたけど、福田と小沢のおかげで目が覚めました。
新聞といえば、読売が読み易いメガ文字メガ文字って騒いでるけど、記事の文字数減らさずにページ増やせよ!半分広告みたいなモンなんだから、読むとこ増やせ。関係無いけどムカつきついでに書いてみました。投書してやろう。
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